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カテゴリ: 地震

あの恐ろしい1日から5年が経ちました。

この1年は、まだまだ震災の爪痕が残る女川町に行って来たり、
栃木から東京に引っ越したりと、身の回りが一気に変わった1年でした。

女川町では、基礎だけ残った家やひっくり返った交番、そして何もない平地などをこの目で見て、
それを乗り越えて来た地元の方の強さを見てきて色々と思う所がありました。
私たちが出来る事は、ただお金をあげることではなく、再び観光地として立ち上がって行くのを
支援していけたらなと今でもつよく思っています。

あっという間に5年です。でもまだ5年しか経ってません。

人の記憶は少しずつ薄れて行くのが常ですが、
震災の恐ろしさを、これからも常に心にしっかり刻んでいきたいと思います。

あの悲惨な震災から早や4年。
思えばあっという間な気がします。

今月は、震災後初めて三陸の方へ行く予定です。
観光地なので、楽しく観光して沢山買い物をして来るつもりです。
まだまだ仮設の住宅や店舗が多いので、自分に出来るかぎりお金を落としてこようかなと。

これからの為に自分が出来ることとしては、
また以前のように観光して、美味しいものを食べて、観光地として復興できるように
行動していくことだと思います。

募金もいいけど、しっかり自立していけるほうがいいな!
辛い出来事はもちろん忘れられないけど、一歩ずつ前を向いて行きたいよね。

先ほど、震災後に取り付けられた防災無線から黙とうのサイレンが聞こえたので、黙とうしました。


震災から丸3年が経ちました。
今日は風が強く寒いので、同じような気候だったあの日の事を思い出します。

3年経って気が付けば、近隣のあちこちの屋根にあったブルーシートも無くなり
震災で通行止めになっていた道路も開通し、はた目には元通りになった感じではあります。

でも相変わらず放射能の問題は残っているし、もっと北の方ではどこから手を付けていいのかと
いった状態の場所が沢山あります。
それらをどうすればいいのか未だ分かりませんが、そこに住んでいる人たちが一番いいと思う方向に
進んでいけばいいなと思っています。

もう3年、まだ3年。
今の自分に出来るのは、自分が見た・体験した事を伝えていく事ぐらいかな。
あとは備蓄の見直しをしよう。

早いもので、あの震災からあっという間に2年です。

いまだにペットボトル水と、ポリタンクの水の常備は欠かしてません。
貴重品・手回しラジオは常にまとめて枕元にあります。

まぁ正直、人間の力ではどうしようもないなと思いつつ、出来ることはしておきたいと
思っています。

阪神大震災も経験していますが、震度5弱地域だったためそこまで気持ちに変化は
ありませんでしたが、東北地震では放射能の事もあって人生観がそれまでと
大幅に変わりました。

人生なるようにしかならないんだなって事と、いつ死ぬか分からないんだなという事。
身内が最近余命宣告された事もあって、最近余計にそう思います。

それならばなおさら、前向きに生きていかないと。
人生色々あるけれど、とにかく前向きに楽しく生きて行きましょう。

あの大地震と大津波からもう1年経ったなんて、早いですね。

1年前の今日は、停電と断水の中ラジオを聞きながら、これからどうなるんだろうという
不安だけを抱えながら過ごしていました。
原発が爆発した時はさすがに人生終ったかなと思いましたが。

停電が解消した時は、すこしだけほっとしたのを覚えています。
そこからは、数週間の断水生活とガソリン不足と輪番停電の日々でした。
度重なる余震で眠れない日々も多かったです。

ようやく1年。復興にはまだまだかかりそうです。
少しづつ日常を取り戻して来ている地域もありますが、
原発付近はやはりもう無理なんでしょうか?
日本人らしい知恵と知識で何とかならないかなぁ。

先日、知り合いに子供が産まれました。
この子が大人になる頃には復興も済んでいるでしょうか。
放射線量も減っていればいいのですが。

大地震・大津波・原発の爆発と想像を絶する大惨事でしたが、目を背けず、
忘れずに後世へ伝えていかないといけないなと思います。

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